1851年(嘉永4年)に紀州徳川家より酒札を頂いて以来、「滴滴在心(一滴いってきに心を込め酒を醸すこと)」をモットーに酒造りを続けて参りました。当蔵がある和歌山県は、実は成人1人あたりに清酒消費量が都道府県別でトップ10に入る程、日本酒が親しまれている土地でもあります。太平洋に広く面しており、一方では、世界遺産に登録された熊野古道に代表されるような大自然がある和歌山県は、海の幸、山の幸ともに恵まれています。
皆さまに豊かな食材と共に親しんでいただいてきた当蔵のお酒は、普段、食事と一緒に楽しめる味わい、時には、特別な日に楽しんでいただける味わいと、皆さまの生活の近くに寄り添えるようなお酒を目指し続けています。

機械化が進む日本酒造りのなか、田端酒造では蔵人たちの洗練された感覚を重視し、人のぬくもりが酒に伝わるように、ほとんどの工程を手作業で行っております。
日本酒の製造ではよく「一麹(いちこうじ)、二・(にもと)、三造り(さんつくり)」と言われますが、田端酒造では特に、麹造りを重んじた製法にこだわっております。最も美味しいお酒が出来ると言われる、気温が低い冬の季節の仕込みの半年間は、多いときに、一時間置きに麹室(こうじむろ)に行き、麹の温度管理を徹底しておこなっております。
徹底した温度管理を行うが故、当蔵のお酒は丁寧にできあがった麹が持つ、お米本来の甘さと旨みが特徴のお酒になります。
最高レベルの品質追求の中から生まれた「羅生門は5代目蔵元 田端薫が、世界にその名と轟かせた黒澤明監督の映画「羅生門」の様に、「田端酒造の酒も世界中の人から愛される酒にしたい」という思いから名づけられました。食品のノーベル賞とも言われている世界で最も権威あるモンドセレクション国際コンクールに出品し、世界でも初めての1989年以降、連続で最高金賞を受賞している当蔵が誇るお酒です。羅生門の原料は、酒造りに使用する米として最高級品といわれる兵庫県吉川町特A地区の山田錦、奈良県から和歌山県へと流れる一級水系である紀ノ川の伏流水、そして当蔵で徹底管理されている田端酒造唯一の羅生門酵母を使い、発売から今も変わらぬ華やかな香りと繊細な味わいを守り続けております。
また、2009年から薫の娘である6代目蔵元 長谷川香代とその娘で酒造りをしている聡子により、先代から続く伝統を守りながらも、地元和歌山県の造り酒屋であることを大切にした酒造りを目指しています。
美味しいお酒を産む環境には恵まれた和歌山ですが、お酒の原料となる酒造りに適したお米(酒造好適米)を作るには、まだまだ研究の余地があるのが現状です。当蔵では、地元の農家の方々などと協力しあい、米や水、酵母まで和歌山産にこだわった酒造りに力を入れております。また、お客様に四季と共にお酒を楽しんでいただくために、無濾過、生酒、うすにごり、ひやおろしなど、季節商品にも力を入れております。
| 嘉永4年(1851年) | 紀州藩徳川家より酒造鑑札として「酒株」の許可を受け朝日屋として那賀郡穴伏村にて酒造業をはじめる。 |
| 明治15年(1882年) | 当時の政府の度重なる増税に対し、「改進」「自由」という二銘柄の酒を造り菰樽にその名を記し、一石を投じる。 |
| 明治38年(1905年) | 良吉の後を継ぎ、和歌山市東瓦町(田中町)に移転し朝日屋の名称で開業。 銘柄を「大東一」とする。 |
| 昭和5年(1930年) | 冷蔵倉を設置。 | |
| 昭和10年(1935年) | 和歌山県で初の冷用酒を販売。 |
| 昭和28年(1953年) | 県下で初の鉄筋コンクリート三階建て酒造蔵を新設。 これを期に株式組織とし、「田端酒造株式会社」を設立。 |
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| 昭和57年(1982年) | 清酒「羅生門」を販売。 | |
| 昭和62年(1987年) |
哺乳型陶器入り清酒「MAMA COME BACK?!」を発売。 各方面から取り上げられ話題に。 |
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| 平成元年(1989年) | 「羅生門」「龍寿」が'89モンドセレクション国際コンクールにおいて全出品酒類の中で最高得点を獲得し、日本で初めて最高金賞を受賞。 | |
| 平成15年(2003年) | 日本で唯一、最高金賞を15年連続で受賞し、それを讃える国際優秀品質賞を授与される。 | |
| 平成18年(2006年) | 和歌山県出身の演歌歌手坂本冬美さんのデビュー20周年記念曲「羅生門」と共に、清酒「坂本冬美の羅生門」を期間限定販売。(翌年4月にて終了) |